藤井聡太四段の快進撃と、将棋連盟の罪深さ

羽生善治三冠は知らなくても、藤井聡太四段は知っている。
今やヘタしたらそんな人もいるかもしれない。

AbemaTV炎の7番勝負で羽生さんを下したあたりから、スポーツ新聞、雑誌、地上波のテレビ番組といったメディアでも取り上げられるようになり、以降は対局の度に各媒体の記者が押し寄せ、そんな中でも勝ち続け、ついに本日、公式戦23連勝を果たし、羽生さんの記録を抜いて単独3位と相成った。
聞くところによると、藤井四段が親しんだ知育玩具は売れに売れ、子どもに将棋を習わせる親も増えているという。

かれこれ10ヶ月ほど前、彼が三段リーグで順調に勝ち星を重ねていた頃、こんな記事を書いた奴がいた。

 

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要約すると、もし藤井聡太三段(当時)が無事プロ入りを果たし、大活躍をしたとしても、羽生さんのようなスーパースターになるのは難しいんじゃないか、何故なら見た目がイケてないからメディアや世間に相手されなさそうだから、といったタワゴト記事である。
まったくもって不明であったとしか言いようがない。

いや、もし彼の活躍が、これまでの若手新鋭と同様ぐらいであれば、メディアが取り上げ、世間一般の人がその名を知ることはなかったであろう。その場合、もし彼がいわゆるイケメンであれば多少は取り上げられ方が違っていた筈だ。

一体誰が予測できただろうか。
デビューからの連勝記録をあっさりと更新。
非公式戦とはいえ、タイトルも狙える強豪及びラスボスを7人も並べられ、厳しい洗礼と思いきや蓋を開けたら6勝1敗。
メディアが取り上げはじめてからも、勝ちに勝ちを積み重ね続け、ついに羽生さんの連勝記録を抜き去り、(なぜか)神谷八段が持つ最多連勝記録の更新すら現実味を帯びてきている。

手練手管のおじさんたちが、百鬼夜行のごとく蠢いているイメージの将棋界で、中学生の少年が、上記のような快刀乱麻の大活躍。
そりゃ、多少ルックスがシュッとしてなくとも、世間にスーパースターとして受け入れられて当たり前である。むしろ、あの純朴そうなちょいダサな感じが、親しみを抱かせ、同時にその奥にある鋭さにギャップを感じさせるよう作用しているのではないだろうか。
これだけの結果を出している逸物は、後付けで他の要素も正当化させてしまうということは、かの利根川氏も語っている通り。

かように凡人の予測を遥かに飛び越えた、ン十年に一人どころか、羽生善治に比肩し得る、将棋の歴史上最大級の巨星になる可能性を秘めた新星の活躍。
競馬にハマる前は将棋が一番の趣味だった身としては、夢中になって然るべきなのである。
本来であれば。

 


しかし、しかし、やはりどうしてもあの件が頭をよぎり、将棋を、というよりプロの将棋を以前のようには楽しめない自分がいる。

あの冤罪事件は、三浦弘行九段と将棋連盟との和解が発表され、渡辺明竜王も個人的に謝罪をし、三浦九段もそれを受け入れたとのことで、終息と相成った。らしい。
まあ、被害者である三浦九段本人が和解を受け入れたのであれば、この件はこれで落着。門外漢がどうこう言うべきことではないのだろう。

が、三浦九段が蒙った被害、毀損された名誉とは関係なく、いち将棋ファンとして味わった失望と憤慨を無かったことには出来ない。

このブログでも何度か書いたが、当時の将棋連盟常務会が下した余りにも愚かな処分は、将棋という素晴らしい伝統文化に、消えることのない泥を塗りたくるものだった。
見た目大人の集まりが、小学生の学級会でも有り得ないような不当な裁定を下し、尚且つ居直るというのは、ちょっとした衝撃ですらあった。

将棋という盤上遊戯に特化した超人として、ファンには一種神格化されていた棋士という存在は、将棋しかできないバカの集団だと、大きく捉えられ方が変わってしまった。

将棋そのものの面白さが損なわれたわけではない。
将棋を指すという一事において、棋士というのはやっぱ凄い存在であることに変わりはない。

でもあれ以来、かつてはあれだけワクワクして観戦していたタイトル戦の対局なんかも、何か別に観なくていいか、長いし、などと思うようになってしまった。

あんなに好きだった将棋の世界に、こんなに凄いニュースターが現れたのに、それに酔うことができない。歴史の目撃者であることに高揚できない。こんなに悲しいことがあるだろうか。
そして、そんな将棋ファン(だった人間)は全国に自分一人ということもあるまい。

あのバカたちは、責任をとることもなく、償うこともなく、将棋を指し続けるのだろう。
藤井四段という天才の登場を、恰好の隠れ蓑にして。