とんでもなく笑わせてくれた素敵なおじさんへ

本当に幼い頃の、原風景のようなぼんやりとした記憶。
ブラウン管テレビの前に家族が全員集合して、あなたたちを見て大爆笑の時間を過ごしていた。とりわけ大オチを担当することの多いあなたの姿に、転げ回って笑ったものだった。
幸福の余韻に浸りながら、お風呂に入って歯を磨いて顔を洗って、ゴキゲンな夢を見ることができた。

小学校の頃は、ウンジャラゲの月曜日に仕入れたあなたのギャグを、ハンジャラゲの火曜日の教室で、みんなで競うように真似をしていた。
だっふんだの表情がやたら上手い奴がいて、僕はひそかに羨ましく、お前はいーよなーと思っていた。

目新しくより刺激的な笑いへと傾倒し、あなたの笑いを古いものと思って遠ざかったこともあったが、久々に見てやはり王道の偉大さ面白さに感じ入った日のことはよく覚えている。「もう時代遅れだよ」などと嘯いていたあの頃の自分を、バカとののしりたい。
もう少し後、演劇なんぞをかじってた頃には、面白いのみならず唯一無二の芸達者であることに気付かされた。どんな芸人・名優があなたの芸をなぞっても、あなたほど面白くはならないだろう。

あれから幾星霜、まだじいさんばあさんという歳ではないけれど、自分もあのおじさん変なんですと後ろ指さされる年齢になってしまった。
ここに至る長い長い月日の間、チャンネル回せばいつでも顔なじみのあなたに会うことができた。誰にも遠慮せず笑うことができた。
これからもずっとそうなんだと思っていた。

まだ時間じゃない。仕方がないなんて割り切ることは到底できない。さよならするのはつらすぎる。
次の回がもう永遠に来ないなんて、まだ信じられない。

でも無理やりにでも顔をあげよう。
ずーっと笑いを届け続けてきた人が、最後にみんなを悲しみに沈ませるなんて、こんな浮かばれないこともないだろう。あれだけ多くを与えてくれた人を、そんな風に送り出してしまってはドリフチルドレンの名折れというもの。

だいじょうぶだぁと声に出し、心の中の三連太鼓を叩いて、今日も明日も生きていこう。


志村けんさん、今までありがとうございました。ゆっくりおやすみください。