りぼん特別展〜250万りぼんっ子おじさん大増刊号〜 at新宿高島屋

中学二年の頃だったか。部活の友人の家にみんなで集まり、そいつん家の居間でスーファミやら何やらして遊んでいた日のことだった。
あまりゲームが得意ではなく、すぐに番が終わってしまった自分は、なにげなくそこにあった友人いわく姉の所有物という少女漫画を手に取り、興味本位でパラパラと読んでみた。

もう自分がスーファミのコントローラーを握る番がまわってくることはなかった。
それまで少女漫画など読んだこともなかった少年は、ゲームなんてそっちのけで夢中になっていた。こんなおもしれえもんなのかと、ちょっとしたカルチャーショックだった。
そのとき居間にあったのは全10巻のうち5巻と7巻だったが、それでもこちらはどんハマり。5巻に至るまでと、穴ぼこの6巻と、7巻の続きが気になって気になって気になって、大げさでなく夜も眠れない日々を過ごした。

気がついたら自分は全国250万乙女の一人となっており、その後の人生への大きな分岐点を、客観的に見ればそっちじゃないよという方向へと曲がってしまっていた。

とはいえ思春期の少年にとって、少女漫画購入というのは相当に高いハードル。しかもその当時は兄と同じ部屋で暮らしていた。
しばらくは胸に悶々としたものを抱え、日々を過ごしていたが、たまたま罹った病院に例の漫画が何故か4巻だけ置いてあり、その帰り道に立ち寄った古本屋にて全10巻セットが1,000円で売られていたのは運命だったのだろう。

もうたまらんと購入を決意。
が、親バレ兄バレを恐れた自分は、当時親友と呼べるほどに仲が良かったクラスメイトのA君に頼み、買った本を彼の家に置かせてもらうことになった。

棚の上の10巻セットを取りレジに抱えていったときの背徳感にも似た気持ち。リュックに詰めてA君の家まで自転車漕いで向かうときの胸の高揚。そしてA君の部屋で貪るように一気読みしたときの恍惚。
我が人生最良の時間だったといっても過言ではないかもしれない。

あのとき「星の瞳のシルエット」と出会っていなければ、今の自分はいなかったと断言できる。

そして思いも寄らなかった世界にのめり込んだのは自分ばかりではなかった。
それからしばらくして、A君の家にまた遊びにいったところ、RMC(りぼんマスコットコミックス)を中心とした少女漫画が数十冊になっているという珍事が発生。以降訪れる度に増殖し、ともにコソコソと読みふける日々はそれから数年続いたのだった。
 


前置きが長くなったが、かれこれ四半世紀前の、少し恥ずかしく、狂おしく愛おしい感覚を思い起こさせる場所へと行ってきたのは何かしらんけど仕事が休みだった月曜日のこと。

こんなんやってるとなれば、250万りぼんっ子の一人である自分としては足を運ばないわけにはいかない。

上記画像内のイラスト、或いは作品名をご覧いただければわかるとおり、ターゲット層は今の少女たちでは決してなく、その親世代である大きな女の子たち。
会場にいるのは、かれこれ不惑の自分と同年代かちょい上と見受けられる方がほとんどだったが、その目の輝きは誰もが少女のそれだった。いや多分。そんなジロジロ見てないからわからんけど。




当時の原画やら、本誌ふろくやら、発売されていたグッズやらが展示されており、懐かしいなーと感慨にふけったり、こんなんあったんだと感嘆したり。

とりわけ有り難かったのが、この展示会に向けての書き下ろしイラスト。


当時のままの姫子に会わせてくれた水沢めぐみ先生にも、大人になった香澄たちの姿を見せてくれた柊あおい先生にも、その有り難さにただただ拝伏するばかり。

夢の時間はあっという間に過ぎ、グッズ売り場ではアレコレ目移りするが、厳選してお土産購入。
ピンバッチのガチャがあり、香澄か姫子が出るまでやろうかなとも思うも、いやこういうのは運を天に任せるものと両替した100円玉10枚(2回)分のみ挑んだところ、チャチャとせあらをお持ち帰り。まあどっちも決してハズレではない。良しとしよう。
なお、もし真理子があれば有り金はたいていたと思われる。


帰り道。現実に戻ってもなお頭の中はフワフワと90年代を揺蕩ってるような不思議な感覚にしばし浸る。

追憶へもぐりこむような体験を経て、思い馳せたのはあの頃読んだ作品のことばかりではなく。
あの頃思い描いていた自分の未来、そして現在の自分、何だかなぁとか溜息をついたり、いやいやまだまだと克己したり。


まあそんなオジさんの物思いはさておいて、こちらのイベント開催期間は短く、7/28(日)までとなっているのでご興味ある方はお早めに。