小説を書く

「オレは令和に小説を書くぜ!」

そんな決意を表明する中年男がいたらどう思うだろうか。
うわあ痛いなあ。きついなあ。終わってんなあ。誰だってそう思う。自分だってそういう人を見かけたらそう思う。

こちら、すっかり競馬のことしか書かないブログになっており、まあそれはそれで良いのだが、いくら競馬の予想と感想を毎週書き連ねたところで胸のうちにある燃えカスは一向に燃焼してくれない。

はるか以前の色々書いていた頃からこちらのブログをお読みいただいている奇特な方、それを記憶している更に奇特な方にはご承知のことであるが、当方、もはやはるか昔と言えるほどの過去に物書きの仕事をやっていた。

いや、仕事と言って良いものか。
確かに対価は受け取っていたが、それだけで食えていた時期はなかったし、一応事務所に所属してライターという肩書きの名刺を作ってもらってからドロップアウトするまでの期間たるや殆どのアルバイトよりも短かった。

まあ己が才能の無さを含めて色々な要因がありドロップアウトに至ったのであるが、全力で向き合わなかったがゆえにキッチリ挫折せず、それゆえにくすぶり続けてしまう人間の哀れさはいつぞやこのブログで書き、いまだに検索流入を稼いでおり、まったくもって恥ずかしい限り。リンクは貼らない。

以来、全く何もしていないとも言えるし、そうでもないとも言おうと思えば言える。
例えば構想をノートに書きつけたり、下調べをすることをもって何かしていると言うことはできるだろうし、そればかりで肝心の創作には至れていない、完成を見ていないことをもって何もしていないとも言える。
少なくとも、僕は今、後者の意味で何か動かねば、具体的には創作をせねばと焦っている。

会社が忙しい。もっとしっかり調べないと書けない。ライフワークの競馬にもしっかり向き合いたい。インプットを怠ると中身が枯渇する。運動する時間もとらないと身体によくない。

言い訳はもういい。

元号が変わったのを機に動きだそうだなんてあまりにもダサいと思う自分もいるが、ダサさに赤面するような年齢でもない。

日の目を見るどころか結局完成に至らず徒労に終わることや、自分の才能の無さを改めて痛感することを恐れて何も動かないままでいたら、本当にそのまま死を迎える時が来てしまう。

振り返ると途方もない年月、胸のうちでくすぶり続け、一向に無くなってくれない燃えカスをしっかり処理しよう。
そうでないと死ぬに死ねない。

だから、痛いのもきついのも終わってんのも承知の上で、表明することにしよう。

オレは令和に……



一応習作がわりに書き続けてるものです。習作ってトシでもないのですが、筋トレは続けないと。
kakuyomu.jp
kakuyomu.jp