120Hライター

日々ご飯を食べるために30過ぎて中途採用で入社した職場に通い、抱くのは不満足ばかり。
それもこれも若い時分にいい加減かつ中途半端な生き方をしてきてしまった成れの果て。こうなってしまったものは仕方ないと折り合いをつけ、残念な日々の中でも面白いことを見つけ、面白く生きていくことは出来るだろうとやってきているここ数年。

が、昨年末、要するについこないだ、どうしようもなく滅入ってしまった。

引鉄となった出来事はあるのだが、それ自体は、立場の弱い者にはやたら高圧的な無能なカスという、どこにでもいる生物がいたというだけのありふれた話。
本来気にすべきような出来事ではない。

が、そのときは考え込んでしまった。

残りの人生はそう長くない。
ずっとこのまま、くだらない人間にくだらない苛立ちを与えられつつ、その甲斐があると思えるほどに手応えのある仕事をするでもなく、老いさらばえていくのだろうか。

いつものように、それはそれ、やりがいやら生きがいやらは仕事とは別で見出せば良いじゃないかと折り合いをつけることが難しかったのは、いよいよ大台が迫ってきてしまった年齢のせいもあるだろうか。
過去最大級の滅入りに襲われ、職場にいると感情のコントロールにも難儀してしまう状態に陥った。

ここでパシッと決意して、辞表叩きつけてきましたなんて言えれば格好良いのかもしれないが、そのような蛮勇は持ち合わせていない。
かといって、このままじゃマズい、心身のメンテナンスが必要だと思い立ち、世間では仕事始めとなるタイミングで五日間の休暇を申請した。
(ちなみに勤めている部署の正月休みは末か始のどちらか三日間)

繁忙期ではないものの、閑散期と言えるほど暇ではない時期に、正月休みとは別でまとまった休みをとることに、嫌味っぽいことを言ってくる人間もいたが、こちとら正当な権利を行使しているだけなので文句など言われる筋合いはない。
というより、あの状態で居続けることの方が、結果的に周囲にも迷惑をかけてしまう可能性があったのでやむを得ないところ。
 



で、この五日間は何をする、どこへ行くでもなく、まったくのノープラン。
それで良い。そうでなければいけない。

しかし、一つだけテーマとして決めたことがある。

この五日間は『休暇をとった会社員』ではなく、『自由に過ごす物書き』として在ること。

仕事として物を書いていた頃から気付いたら10年余り過ぎてしまった。
食えるには至らなかったし、全てが中途半端だったし、あの頃はあの頃で鬱屈した気持ちはあったのだが、今と見える世界は違っていた。
目の前の仕事だけでなく、いつか世に出せるかもしれない構想を抱き、本を読んでは、映画を見ては、人と話しては、自然と己の創作のヒントや手がかりを見出そうとしていた。

今もなお灯火は完全に消え果てたわけでなく、いつか書きたいと思っているストックはかなりあるのだが、会社員としてすり減った心身では具体的に動き出すどころか、時にその思いを忘却してしまうこともある。

思い出したい。動き出したい。

とは言っても、この五日間で具体的に何か書くとか何枚書くとか、ノルマや目標を立てているわけでもない。
もし日がな一日YouTubeやまとめサイトを眺めて過ごすという代わり映えのしない無為な休日となってしまったとしても、それは物書きとして無為な日を過ごしてしまったのだと。精神上だけでも思おうじゃないかと。

当記事を書いている時点で、五連休の三日目が終わろうとしている。
気持ちの置き方を変えただけで、いつもと変わらぬこと(例えば部屋の片付けなど)をしていても物の見方や感じ方は確実に変わり、何かやろうという気になり、実際のところ長いこと停止していた書き物を再開したり、資料を調べたり出来ている。
それがやたらに嬉しい。数年ぶりに足を運んだ図書館からの帰り道、あの老人のように独りごちたりしてみたり。

「ひと花咲かせられないものでもあるまいよ。なあに、おれだってまだまだ……」



明々後日にはまた会社に行き、また磨り減っていくのだろう。

でも、思い込むだけでも、世界なんてあっさり変えることができる。

消えかけていた灯火を、再び胸に。





というわけで、とりあえずこちらは書き終えました。

kakuyomu.jp

まあコレについては物書き云々というより、競馬民としての副産物といった趣が強いのだけれども。