ソシャゲやめました

ここ1年ぐらい、1日も欠かさずログインし、日課をこなし続けていたものを含め、一切のソシャゲアプリをやめることにした。

理由は簡単。誰もがみんな知っている。時間は有限だから。

自分は競馬が趣味で、色んな要素に自分の妄想を乗せて予想を組み立て、購入した馬券を握りしめてレースを観戦し、当たった喜びや外れた悔しさを味わうのがたまらなく好きだ。
でも、なかなか馬柱を微細にわたりしっかり読み込んだり、参戦馬の前走の映像をチェックしたりの時間がとれず、適当な予想で適当な買い方をしてしまうことが往々にしてある。

自分は将棋が趣味で、プロの対局を観戦しながらヘボながらにアレコレ手を考えてみたり、自身でも主にCPU相手だが指してみたりするのがえらく楽しい。
でも、将棋を楽しむにはしっかり勉強し、深く将棋を知ることが肝要なのにもかかわらず、なかなか時間がとれず、定跡を手筋もぼんやりなんとなく程度で、きちんと身についていない。それゆえに対人で指すのが怖くて、打って出ることができない。

自分はランニングが趣味で、そこには記録が向上したり身体つきが締まってきたりという、頑張った分だけ返ってくるという、この年齢になったらなかなか味わえない達成感と挑戦の喜びがある。
でも、なかなかトレーニングの時間がとれず、記録はすっかり伸び悩み、お腹もプヨプヨの有様である。

他にも読書、映画鑑賞、料理、語学、そしてブログ執筆と購読……
あらゆるやりたいことが、それに費やす時間をとれずに覚束なくなってしまっている。

もちろん、すべての時間をソシャゲが奪っており、これをやめれば万事解決などということにはなるはずがない。
ただ、改めて見つめ直してみたら、自分としては上にあげたその他の趣味のどれよりも優先順位低いにも関わらず、費やしている時間が膨大すぎるなと。

もちろん、人生のあらゆる営為の中でソシャゲが何よりも優先すべき事項であるという人もいるだろうし、そういう方を否定するつもりは全くない。
また、ソシャゲを上手にライフサイクルに組み込み、楽しみながらもその他の趣味や仕事などもきちんと充実させている人だっていくらでもいるだろう。そういう方は凄いなと思うし、羨ましくも思う。

まあ、自分は上手に色々こなせる方じゃないし、人生に与えられた時間が有限であるってことを痛切に感じるような年齢にもなってきたし、手始めに一つ切ることにしたってわけです。
ソシャゲアプリを全削除し、まずは清々しい気分と、こうして仕事前の時間に駄文を連ねることのできる喜びを感じています。

まあ、ゆくゆくは競馬やめることも、将棋やめることも、当然ブログをやめることだって十二分に考えられるわけで。

新しい何かを始める喜びは、古い何かを諦める切なさと表裏にあるのかなあと。