高校野球甲子園大会をとりまく5つの問題について考えてみた
夏ですね。俺たちの季節ですねーー
とは、終盤のレ◯プ展開で名作野球漫画から迷作野球漫画へと変わり身を遂げた「やったろうじゃん!」最終回の一節であるが、まあグダグダとなった作品を良い感じ風に締めくくる名言だとは思う。
実際、夏は高校球児と、その関係者と、高校野球を愛するすべての人々の季節なのだろう。
そこまで熱心に追えているわけではないが、当方も休みの日や午後出勤時の午前中などに中継があればそれを眺め、夜には熱闘甲子園を見たりして、興奮と感動をお手軽におすそ分けしてもらっている。
そして、この時期になると必ず聞こえてくるのが、高校野球についての様々な問題提起。
何かできることがあるわけでなし、議論などせず、毎日生み出されるドラマを享受していれば良さそうなものだが、まあ様々な問題点に対して自分なりの考えを持ってみることも無益ではあるまい。
①エースピッチャー酷使されすぎ問題
これはもう、しょうがない。
日本人は「明日なき戦い」とか「完全燃焼」という言葉が大好物である。
己の全てを賭して、全てを尽くして、目の前の勝利だけのためにボロボロになってでも戦うのが美徳であって、そんな姿に感動を覚える。
そんな姿を、エアコンの効いた室内でジュースでも飲みながら眺めたい人が山ほどいるのだ。
真夏の酷暑の中、将来有望な高校生に100球を優に越える球数を大して日にちを開けず、何なら連日で投げさせたりしている異常な起用に異を唱える人がいくらいようと、そんな声はあっさりかき消される。
元より学校側は勝ち上がるために少しでも多くのイニングを最も頼りになる投手に託したいし、本人もトランス状態になっており、一球でも多く投げたい、マウンドを譲りたくないという気持ちで支配されている。
そうなると、選手の身体や将来性を心配する良識派の出る幕はない。いくら有望な選手がつぶれようと、今後も延々繰り返されるだろう。
②開会式・閉会式におけるお偉いさんの挨拶くそ長い問題
これはもう、しょうがない。
選手たちにとって本番の舞台は、プレーボールからゲームセットまでのグラウンド。そこで持てる力の全てを尽くす。
それと同様に、あのお偉方にとっては、甲子園のど真ん中から、グラウンドの選手たちとスタンドの観衆に向けて、誰一人聞いていない言葉を述べ立てることこそが本番の舞台なのだ。
もし、勇気を持って諫言する人がいたとする。
「副大臣、やはりあの原稿は少し短くした方が良いのではないでしょうか? 冗長で面白くない言葉を聞かされ、炎天下の中立っていなければならない球児たちが気の毒です」
「オイ……お前の栄光時代はいつだよ?」
「え?」
「オレは今なんだよ」
などと、元ヤンのオッサンに言われた日には従う以外手立てはないだろう。
③ラガーさんまだいる問題
これはもう、しょうがない。
割り込みや恫喝を駆使してバックネット裏の席を強引に占拠し、長年真っ当な野球ファンの眉をひそめさせていた8号門クラブだが、今年の春の選抜より少年野球の子どもたちにそこのエリアを当てがうドリームシート導入により見事に排除され、風の噂によると解散したらしい。
が、その組織の象徴的人物で、ラガーシャツと蛍光色のキャップでとりわけ目障りだった彼は、今まで陣取ってた席からはややずれた位置ではあるが、元気に応援している姿が確認されている。
まともな感覚であれば、全国の野球ファンから非難が殺到した結果、子供たちのためという方便まで使って排除された身としては、恥ずかしくてノコノコ観戦になど2度と来れないと思われがちだが、彼としては今更後にひけないのであろう。
もし、バックネット裏から排除されたのを契機に甲子園観戦を止めてしまったら、自分が「高校野球が大好きで、出来ればより良い席で観たいおじさん」ではなく「特等席を占拠して、甲子園という舞台で注目を集める特別な存在であることに愉悦を感じる老害」であることを認めてしまうことになる。
見たくなくても目をひかれてしまい、試合を楽しむ妨げにならなくなったので、別に良いんじゃないかなと。
④スタンドのカメラマン、可愛いチアを映しすぎ問題
これはもう、しょうがない。
世の中には需要というものがある。何ならもっと映してくれても良いぐらいだ。
男女平等の社会を実現するためにも、グラウンドの選手とスタンドのチアが映る割合は5:5にしてみたら良いのではなかろうか。
⑤可愛いチアの前に坊主頭の補欠部員が映りこんでくる問題
これは許されることではない。
邪魔だバカ。どけ。消え失せろ。お前はそんなんだから補欠なんだよ。今すぐ退部しろバカ。
以上、お粗末な考察で恐縮。
一人一人がこのようにいろんな問題点について真剣に考えることで、愛する高校野球がさらなる発展を遂げるよう、心より祈願いたします。