1995年8月26日の日記
ブログを書くという行為は、ときに苦痛でもある。
市井の人間にとって、わざわざ書き残さねばならない、ぜひ書き残しておきたいというトピックスなどそうそうあるものではない。
往々にして、実際たいしたものとは思っていない事柄を自分の中で無理やり肥大化してテーマに昇華し、一応は人様にお読みいただくことを前提とした文章を拵えていくことになるのだが、元がどうしてもこれについて書きたいという衝動に突き動かされているわけではないので、なかなか筆が進まなかったりする。
まあわかりやすくいえば、ネタに困ってしまうことがしばしばあるわけで。
今日なんかも高畑淳子さんの会見とか、気持ちが動くことがないわけではないが、どうにも一つの記事にまとめようというところまでは登ってこない。
こんな始めてから日の浅いブログでさえそんな有様なので、長きにわたって毎日更新し続けている先輩ブロガーには実に頭が下がる。きっとそれぞれネタ切れのときの対応策を用意しているのだろう。
自分も「つれづれに書き散らす」シリーズを立ち上げて、1本書き上げるだけのネタがないときに活用しようと目論んでいるが、短いのをたくさん書くというのも、それはそれで楽ではない。
どうしたもんかなーと、いつぞや恥を曝した高校時代の日記をパラパラ眺めており、閃いた。
昔の日記をそのままあげちゃえば良いんじゃね?
面白いかどうかは別として、20年前の今日、一介の高校生が何をして何を思い、世の中では何が起きていたかの記録って結構貴重じゃね?
というわけで、ネタに困った際の対応策第2弾として、「古い日記」シリーズをここに立ち上げたいと思う。
記念すべき初回は21年前の今日、1995年8月26日の日記。
当時の息吹を感じていただくためにもノートをそのままパシャリ。当時高校1年の自分はどんな記録を残しているのか。
………明らかにアホの文章だが。
まあ、この中からも色々読みとれることはある。
21年前の今日は、しばらく見ていなかったとんでぶーりんと美少女戦士セーラームーンSSを観たらしい。確かにウチにビデオデッキが到来したのは高1の終わり頃だったので、当時は観たい番組を親兄弟に阻まれて涙することもしばしばだった。
セーラームーンに仲間のセーラー戦士たちが出てこなくて不満だったらしかったり、どうやらぶーりんの最終回には感銘を受けたらしいが、いずれも内容は記憶に残っていない。ぶーりんは8月下旬に最終回だったってことは打ち切りだったのだろうか。まあ土曜夕方でTBSだから、単に特番とかの編成の兼ね合いかもしれない。感謝祭とか。
当時聴いていた宮川賢のラジオはナメるなという深夜番組に椎名へきるがゲストで出たらしいが、おそらくその時間を心待ちにしながらこの日記を書いたんだろうなあなどということも窺える。そう思うと、当時の自分にいとおしさのようなものさえ感じなくはない。
でもやっぱり。
アホの文章だなあと。
シリーズ化は再考の余地ありですな。
てか考えてみたら、既にやってんじゃん。