失われていく不安と恐怖

ちょっと経年による欠損がシャレにならない。

内勤の事務作業に従事している社畜(でも正規雇用では無い)の私。
業務時間内にネットケイバにアクセスすることすら認められない超ブラックではあるのだが、厠に行きたいとき世間一般の企業のように、手を上げて「すみません、トイレにいってもいいですか」などと言う必要はなく、黙って自由に行けるのが唯一の良いところ。

年齢的なこともあり、仕事中お茶や缶コーヒーをがぶがぶ飲んでることもあり、かなり頻尿気味である自分は、雪隠に立つ回数がどうしても多くなってしまう。
生理現象なのでやむを得ないのではあるが、あまり頻繁に離席していると、職場を監視する獄卒に鞭で打たれるため、ある程度は気を遣う。
たとえばペットボトルのお茶が1〜2時間後に切れるであろうことを見越し、トイレに立ったついでに買っておく、などという涙ぐましくも誠意に溢れた我が営為を知る人は少ない。

そんな折、当然ポケットの中にはハンカチーフと小銭入れが入っている必要があるわけだが、まあこれをよく失念する。

ハンカチーフについて、日によって薄布の物とタオル地の物を使っており、基本的に薄布ならポケットに入れているのだが、タオル地のものはポケットの膨らみを嫌いカバンに入れている。また、薄布でも一度使用して水気を含んだらなんとも気持ちの悪い違和感が生じるので、ポケットでなくカバンに収納している。
それゆえに、我が手巾は懐中に収納されていることと、そうでないことがある。
小銭入れについても似たような事情があり、こちらも中身の詰まり具合、重量によって、ポケットに入れていたりいなかったりという状態である。

つまり、職場における自分の状態は以下の4パターンに類別される。

①ハンカチも小銭入れもポケットに入っている状態
②ハンカチはポケットに入っているが、小銭入れは入っていない状態
③小銭入れはポケットに入っているが、ハンカチは入っていない状態
④ハンカチも小銭入れもポケットに入っていない状態

この極めて入り組んだ複雑な状況を完全に管理下におけないのは、やはり加齢による脳細胞の衰えなのだろうか。
席を立って数歩歩いたところで、あ、ハンカチねーや、小銭入れねーやと引き返すことなどほぼ毎回。これぐらいなら別に良い。
トイレで手を洗った後にハンカチを持参していないことに気付いたり、自販機前で購入する飲料を選別し終えた後に今の己が瞬間的に無一文であることに気付くことも頻繁である。

ごくたまになら、ああうっかりしてた、我ながら他愛のないヤツよで済ますこともできようが、こんなことがしょっちゅうとなると、どんどん気鬱にもなってくる。
何だろう、何で毎日のようにこんな忘れ物をするのだろう。もしかしたら自分はいつの間にかひどい欠損をきたしてしまった欠陥人間なのではないだろうか。
今はこんな些細な物忘れで済んでいるが、そのうちこの抜け落ち癖がとてつもないカタストロフィを引き起こしてしまうこともあるのではないか。

そんな思いを強くした今朝の出来事。

会社に行くためスーツを着、髪を整え、家を出ること数メートル。ネクタイを締めていないことに気付いた。ネクタイ着用免除のクールビズ期間はとっくに終わっている。いけねいけねと家に引き返し、ネクタイを締めて再度出掛ける。

さっき引き返したぐらいの地点で愕然とした。

着古した安物とはいえ自分にとっては一張羅のスーツに身を包んだ自分。

その足元はクロックスを履いていた。

こんなことははじめてだった。
あまりにショックすぎて、ちょっとした虚無感。
何らの意思も介在せず、自分は部屋に戻り、革靴に履き替えて、いつものように会社に向かった。

電車に乗るあたりで思考を取り戻した自分は、ドラマとかでよく見る脳を輪切りにするやつをやってみようかな。などと考えていた。

少しずつ、でも確実に、自分は失われている。