肩が上がらない悲しみと絶望、そして希望

やってしまった……
昨晩のジョギング以来右肩が明らかに故障してしまった。ダイジョーブ博士が必要なやつかもしれない。
腕を曲げているときはそれほどでもないが、腕を伸ばすとジワジワ痛み、伸ばした腕を上げようとすると激痛が走る。
右腕を上げるのは90℃ぐらいまでが限界で、左右両腕を同時に上げようと試みると、3時丁度をさしているような、エドはるみの「コー」を行っているようなポーズになる。痛みが強いので表情もそんな感じだ。

痛くてつらいというのもあるが、それ以上にちょっと走っただけでこんな有様の自分にショックを受けている。肩が痛くてショッキング〜だ。ああ、身も心もエドはるみになりつつある。あたしを見ないで。

更にそれ以上に、悲しくて仕方がない。ちょっと張り切ってみて、ジョギングしてみたところ肩を壊すとか、こんな情けないことがあるだろうか。
長い距離を走ったわけでも、強度の高いペースランニングを行ったわけでもなく、軽いジョギングでこのザマ。しかも足ならまだしも、肩にくるとか。肉体が着実に劣化しているとしか言いようがない。

調べてみたところ、肩が痛む症状は、四十肩五十肩の類か、腱板損傷といわれる傷病かのどちらからしい。後者の方が深刻なのだろうが、前者の方がメンタルへの打撃はでかい。絶望すら覚える。

そして五十肩という文字を見て、長年頭をよぎったこともなかった、ヒトミさんなる人物のことを思い出した。

大学生の頃、交通誘導などを行う警備員のアルバイトをしたことがある。赤色灯で合図を出し、自動車やバイクを止めたり流したりするあの仕事、まあ慣れてさえしまえば誰にでもできるごく簡単なものなのだが、同時期に入った人の中で研修を突破できなかった人が一人いた。ヒトミさんというおじさんだ。ヒトミは苗字、表記は「人見さん」だろうか。
50歳過ぎで会社を自主退社してアルバイトを始めたというヒトミさんは、赤色灯を振ったり掲げたりの動作が非常に小さく、もっと大きく合図を出してくださいと何度も何度も、遥かに年下の社員さんに注意されていた。
しかし何度言われても改善せず、「止まれ」の合図は胸の前でチョコン。「進め」の合図も胸の前で小さくチョコチョコ。何故か棒を持ってない方の手も一緒にチョコチョコ動いてしまい、まるでアホの坂田のようだった。
そんなヒトミさんを見て、一緒に研修をしていたメンバーは一様にうつむき、笑いをこらえていた。

いい加減ブチ切れた社員さんが「だから、もっと棒を大きく動かして! こうやって!」と声を荒らげたところ、ヒトミさんは弱々しい声で「五十肩で……手が上がらなくて……」
他のメンバーはこらえきれず大爆笑。残酷なことだ。
ヒトミさんも寂しそうに笑っていた。

結局、ヒトミさんは一日で姿を消した。当時の自分にとって五十肩で研修クビになったおじさんとの出会いと別れは、バイト先のおもしろエピソードとして、良い持ちネタになってくれた。

今じゃとても笑えない。
身体が自在に動かない、以前は当たり前にできたことができないことの悲しさ、情けなさ、そして恐怖は、筆舌に尽くしがたいものがあると理解した今、どうしてヒトミさんを笑えるだろうか。
さすがに今回の肩痛は、病院で診てもらい適切な処置を施せば治るだろうと思うが、歳を経るにつれ、更に身体は脆くなり、傷みやすくなり、機能が失われていくのだろう。

少しでも長持ちさせるための身体のケアはもちろん重要だが、自由の利かなくなった己の身体を笑い飛ばせるよう、メンタルを強化していけるかが大きな課題なのだろう。そこにしか希望はないのではないか。

なぁに、なんてことはない。
肩が上がらなくたって自己発電はできるんだ。