夢追い人は世間から粗大ゴミのように見られており、その見方はおおむね正しい

役者、ミュージシャン、芸人、小説家、漫画家、声優、などなど。世間一般で夢のあると言われている職業についている人にはなかなかお目にかかれないが、後ろに「志望」とか「の卵」などと付けると、世の中にうんざりするほど溢れかえっている。

彼らは総じて自覚が薄いのだが、夢追い人というのは彼らが思っている以上に、真っ当に働き暮らしている人たちから嫌悪され、侮蔑され、不法投棄されている粗大ゴミのごとき存在と位置付けられている。
理由はごく単純で、彼らのかなり大多数が、
「夢を追いかけている自分は、夢を諦めて世間の歯車として生きている連中よりも高尚な存在である」という傲慢極まりない、そして愚の骨頂としか言いようのない思想を持ち、それを隠そうともしないからである。

 

 

数年前まで深夜のコールセンターでアルバイトしていたが、そこはその手のどうしようもない人間たちの掃き溜めだった。

劇団と称する仲間うちの集まりに帰属し、給与もギャラも発生していないどころか、ノルマを課され、知人友人に手売りでチケットを買ってもらっていながら、いっぱしの女優面をしていた三十代女性。
マンションの一部屋をあてがってもらう、ふんだんに金銭の援助を受けるなど、経済的に裕福な両親の庇護を全力で享受しながらも、親の敷いたレールから外れ漫画家を目指しているオレの生き様カッコイイと悦に浸っていた三十代男性。
バイト仲間で行ったカラオケにて、こんなところで歌うほど安くないと、マイクを拒否したバンドマンの四十代男性。

彼らの共通点。
いい年をして定職につかず結婚もせず、フリーター暮らし。
そして、普通に就職や結婚をし、「普通の人生」を歩んでいる人たちを見下して生きている。

モラトリアムをいつまでも延長し、暮らしていけてしまう社会や、その社会を運営してくれている世間一般の人たちへの感謝の言葉など彼らの口から聞いたことは一度もない。
夢を追いかけてる自分が、ありきたりの生き方を選ばなかった自分が上等な人間であると本気で思っている。そして、夜な夜な安い居酒屋で安い酒を飲みながら、カンナで削ったように薄っぺらい芸術論を交わしている。
もはや滑稽でしかない。

余談だが、コールセンターを辞めてからそういう程度の低い手合いにはあまり出くわさなくなったが、はてなブログを始めてからネット上でよく見かけるようになった。まあ、それは詳述すべきことでもないだろう。

勘違いしないでいただきたいのは、自分は夢を追いかけることそのものを否定するわけではまったくない。夢追い人のみんながみんな阿呆ばかりというわけではないこともよく知っている。

 「苦節20年」みたいな苦労話で感動して泣いちゃってる奴とか見るとガッカリ。お笑い20年ってただの変態ですからね。本当に頑張ってる人は普通に働いて家族のために自分が本当にやりたいことを諦めて仕事している人。そっちに感動すべき。

これは芸人の永野さんがゲンダイのインタビューで語っていた内容の抜粋である。何かの名言集に収録してもらいたいほどに素晴らしいことを言っている。
芸風の好き嫌いは別れる芸人さんだろうが、キャラクターに似合わず人として実に信頼できる感性の持ち主だなと感心した。
才能や運もさることながら、世間の中での己の存在を客観視できるからこそ、今日のブレイクを迎えることができたのだろう。
いつまでも夢追い人・ワナビーに甘んじている人間は、そういう感覚が決定的に欠落していることが多い。だからこそ恥じることなく傲慢でいられるのだろう。

そして何より、そういう連中は大抵、己の夢に向かって本気の努力はしていない。
何となく役者になれたらいいな、作家になれたらいいな、声優になれたら、芸人に、漫画家に……と、ぼんやりとした願望を持って、それらしき活動をあたかもアリバイ作りのようにしているだけて、その実ぬるま湯に浸かっているだけ。
深夜のコールセンターなんかに何年もいることが何よりの証拠だ。

本当にその道のプロフェッショナルを目指す人間は、石にかじりついてでも夢を叶えるべく、必死に努力する。あらゆる手段を尽くす。

そして、その先に挫折がある。

挫折とは、全力で夢に向かった人間だけに認められる権利。きちんと挫折することの出来た人間だけが、人生の新たなステージに進むことが出来る。
そのはるか手前、ほどほどに生活ができる居心地のよいぬるま湯の中、根拠もなく偉ぶり、いつまでもくすぶり続ける人間が到達することは有り得ない。

ふと自分の半生を顧みる。

「普通の就職」が嫌で、仲間うちと「劇団」を作って、いっぱしの「作家」面をし、生活費はコールセンターのバイトで賄っていた日々。
何となくそういう道から身を遠ざけ、中途採用の契約社員として、同世代の人たちと比べかなり安い収入で暮らしている今。

こう見えてまったく挫折は味わっていない。
全力を尽くすことをしなかったから。
何となく夢を見て、そこに手を伸ばす努力を怠り、結局燃え尽きることのできなかった、惨めな生焼けのカス。それが今の自分。

でも、まだ終わってはいない。何歳になろうと、どんな立場であろうと、夢を見ることはできる。
あのコールセンターにいた連中、そしてかつての自分のように、傲慢で視野狭窄な夢追い人にはなるべきでないが、夢を追うことそれ自体は素敵なことだ。

藤子・F・不二雄先生の名作短編「あのバカは荒野をめざす」のラストシーン。
年老い、夢も希望も失った老人が若いころの自分自身の熱さに触れ、自分にもまだ何かあるはずだと歩き出す。実に美しい。

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自分も夢を探そう。夢を目指そう。夢を追いかけよう。全力で追いかけよう。走って追いかけよう。
それが叶えば言うことないが、叶わなかったときは今度こそきちんと挫折を味わおう。

僕の夢は……

 

追記(2022.1.29)

この記事を書いてから5年半、何もしていないわけではなかったものの、社会生活を送る中で具体的一歩を踏み出すのはなかなか難しく、まだ機が来ない、準備が整わないと停滞していた。

人生は短い。ともあれ動かないといよいよ本当に終わってしまう。何になるか、何にもならないかはわからないが、一歩踏み出す。

kakuyomu.jp


Netflix火花お題「夢と挫折」

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